ルーレット ぱにぽに

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この斥候たちは夕刻までに帰還すると「シャティヨン=ル=デュック(ヴォルレの南3.6キロ)には敵の強力な部隊の存在がありその先、要塞都市近郊の諸部落にも敵を見かけ、特にサン=クロード(シャティヨン=ル=デュックの南5.2キロ周辺

現在の国道大カーブ付近にあった郊外部落です)には大兵力が集合しているとの情報あり」との報告を上げるのです

 フォン・デア・ゴルツ兵団の北方にあったBa師団は、リオに守備隊を置くと南西方向オニヨン川に向けて行軍を開始し、エテュの西からマルネーまでの間のオニヨン河畔に諸隊を展開させました

パン(エテュの南西6.5キロ)周辺に至った一隊はブザンソン方面の監視を行うと共にボナベンテュラ・フランツ・ハインリヒ・ゴスヴィン・フォン・ブレーデロウ少佐が指揮するパン守備隊と交代しました

 これによりブレーデロウ少佐は支隊を率いて親部隊(第14師団)へ帰還するため南下し、オードゥー(パンの南6.8キロ)経由でコルセル=フェリエール(サン=ヴィからは北5キロ)へ向かいます

この地で第14師団の左翼と連絡すると「行軍途上、プイエ=レ=ヴィーニュ(オードゥーの東4.8キロ)の東側に敵の集団を望見した」との情報を知らせるのでした

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 この日、マントイフェル将軍ら独南軍本営(在ラ・バール)は諸般の状況と偵察斥侯報告から、仏東部軍はブザンソン防衛にそれなりの兵力を割いているものの、その主力は既にドゥー川を渡河して南岸にあることを確信し、今はドゥー北岸にある第7軍団もドゥー南岸へ送り仏軍主力と対決させることを決定します

また、マントイフェル将軍は23日に発生した「プイイの悲劇」につき詳細な報告も受けました

 将軍はこれまで「先ずは仏東部軍本隊を追撃して撃破し、その後にブザンソンやディジョンの敵と対する」との方針でいましたが、諸情報から「仏軍本隊との対決は現在ドゥー河畔と南方にある兵力で十分である」と断じて、ディジョンで軍旗を奪われたフォン・ケットラー将軍支隊(第8旅団中心)の親部隊・第4師団長のオットー・ルドルフ・ベーノ・ハン・フォン・ワイヘルン中将に対し、屈辱を晴らせとばかりに「師団を一時離れディジョン攻撃の指揮を執れ」と命じました

マントイフェル将軍はこの攻撃に使用する部隊としてケットラー支隊の他、フォン・ヴィリゼン大佐の支隊、フォン・デーゲンフェルト少将率いるBa第2旅団を中心とする支隊、そしてケットラー隊の東でディジョンを監視するフォン・ショーン少佐の支隊を指定しハン・フォン・ワイヘルン将軍の指揮下に加えるのでした

ハン・フォン・ワイヘルン

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仏東部軍司令官、シャルル=ドゥニ・ソテ・ブルバキ中将は1月23日、思いかけずブザンソン南西の交通要所・カンジェーを独軍の奇襲で失い、また独第14師団のコーゼル大佐が率いる支隊をダンヌマリーで迎撃しますがこれも失敗し、ただでさえ危うい指揮官としての立場が非常に危うくなってしまいます

 既に東部軍は「軍」とは名ばかりの存在で、諸隊からは悲鳴のような「士気喪失・戦闘不能」の報告が相次ぎ、同23日、ブルバキ将軍自身もすっかり自信を喪失し鬱の状態でブザンソンに到着すると、ここでも至る所でボロを纏い意気消沈して項垂れ佇む将兵を目の当たりにして益々陰気の蟲に囚われてしまうのでした

 悪い知らせは続くもので、ブルバキ将軍が命じていたブザンソンでの待機中に消費する糧食状態の回答を持って来た軍経理部長のフリアン経理事務官は、「軍の携行糧食は僅か5日分のみで」あり「もしブザンソン要塞の糧食倉庫を解放しても15から18日分に過ぎない」と語るのです

 ブルバキ将軍はいよいよ進退窮まり、「ここは精鋭だとしても員数に劣る独軍に対し決戦を挑むしかない」と決心し、翌24日ドールへの街道脇にあるフェリーヌ城館(現存しません